形のレベルにしがみついていることがほとんど不可能となったり、
形のレベルそのものが激しく過酷な時というのは、
確かに生きものとしては大ピンチであり、
捉え方によっては大問題といえるかもしれません。
けれどそんな時というのは、
「私」という自己を超越することが可能となっているので、
意識的には飛躍を遂げるチャンスだともいえるのです。
またこれは珍しくないことなのですが、苦痛や苦悩が強烈な時期には、
「小さな私のもがき」とそのネガティブ性に圧倒されてしまうことがあり、
実際の酷なケースにおいては、ついに自害を考えたりする者もいます。
ただ実際に自身がそんな風になってしまったとしても、
そのような行為だけは絶対に選択してはなりません。
なぜならそれは本質的な可能性・チャンスを台無しにする行為であり、
生命として非常に「もったいない」ことだからです。
加えてこの地上と関わっているワタシ達は、
いつでも『いのち』全体の中で『いのち』のパートを担っていますから、
その役目・役割というのは、生命として全うするべきことだといえます。
つまりこの地上で生活している生きもの・存在というのは、
「活きる為に生き続けるべき」だといえるのですが、
もしもそのこと自体がイヤだと思ったりするのであれば、
実際にそんなことを思ったりしているのは、
一体誰なのかをよく確認してみましょう。
もちろんそういったことを思ったり感じたりしているのは、
間違いなく「思考からなる私」であり、本当の自分ではありません。
ですから「小さな私のもがき」が生じている場面などにおいては、
暗愚な「思考=私」には付き従わないようにし、
できる限り意識的に冷静なままで在るのが一番なのです。
② 『ネガティブ思考は、自動的にキャンセル』
③ 『すべてはうまくいっている、自動的にポジティブ』
「自己肯定する過程 ~」すらも、省略できる ◎
アナタとあなた自身は、
『いまここ』において存在している時点で、
何も間違ってなどいない。