2020年9月3日木曜日

誰かの為に ∞ 次の為に。

生命と呼べる存在を一本の木に例えるのなら、
それはワタシ達の絶対的な親であり、
ワタシ達は皆その木に基づきながら、
『いまここ』を創造・受容しています。

そしてこの地球では、
あらゆる生きものが生命自体の為に毎日活動しているのですが、
今の人類はそのような活動を十分に果たすことができているのでしょうか?

もしかすると今の人類の多くは、
大体いつも「私」「私達」に夢中となっていて、
日々「私的な事柄・活動」に没頭しているだけかもしれません。

そこでこんなことを洞察してもらいたいのですが、
例えば一枚の葉の葉脈というのは、巨大な木全体の中においては、
とても小さな流れであり、微々たる部分であるかのように思えます。

けれど実際の『いのち』というのは、
ある特定の範囲で機能しているわけではないし、本質的観点からすれば、
『いのち』自体は人の概念的思考で解釈するべきことではありません。

つまり何を伝えたいのかというと、あなたは『いま』存在本体としては、
それぞれの脈を絶対的に必要としていて、
一枚の葉や一本の枝を完全に機能させる為に、
『いのち』全体を自身としているということなのです。

またワタシ達の現状のこともお伝えしておきますが、
『いまここ』で本当の自分に少しも気がついていない者は、
ある意味で自分自身のするべきことを完全に見失っているので、
この地上ではそれを埋め合わせるかのようにして、
人間の「私」を「何者かにしよう」としています。

そこでワタシ達次第のことについて、
しっかりと自問しておいてもらいたいのですが、
あなたはこれからもマインドレベルの事柄を最も大事にしながら、
最後の最後まで一人の人間(私の人生)を続けていきますか?

それともこの人間社会と関わりつつも、本当の自分・自身として、
真に活きる・生きることを選択しはじめますか?