2020年9月13日日曜日

『生活とは何か?』~本来の生活~







意識としてのボクらは、
今回「なぜこの星・地球と関わっているのだろうか?」

そしてアナタはなぜ、
「この時代を選び、その人物や国/環境を選んできたのか?」

そのことを深く真剣に意識してみると、
きっと存在としてのアナタは、ただ単に遊びや快楽に没頭したり、
『楽に生きることを目的としているのではない』ということが、
ちゃんとハートレベルでわかるはずだ。

 【この世界を可能にし、提供している背景の存在】

これは知っている方なら、知っていることだけど、
ある家族や医療関係者などは、人や動物の最期を看取る瞬間などに、
「ハッと『なにか』に気づく(思い出す)眼と表情をする」
『何者か』を目撃することがある。

もしくはそのようなこと自体は、
『神的な伝達の現れ』だと、そういえるのかもしれない。

つまり第六感で感じられるあの「異次元的な存在の感覚」は、
この世を可能にしている側の次元に属する『なにか』で、
今この瞬間の二元性世界と関わっている間は、
直接的にはほとんど接触することのできない、
『神的な領域』についてのことだといえるんだ。

 【昼の月/夜の太陽】

ボクらがこの地上で「笑って遊ぶ」ことをしている時も、
酷な状態~環境で「もがき苦しむ」ことをしている時も、
宇宙の根本原理は完全に機能していて、
本当は想像以上の「計らい/配慮」を働かせながら、
『絶対的な恵みと恩寵』を与えてくれている。

ただ『信頼できる真実・真理が常にある』としても、
「地上の人は地上の人」であるが故に、
「神のしていることすべてには、気づけない」

 







 

 

 

【本当の自分らしく】 ~生きて・活きること~

自分はナチュラリストとかではないけれど、
毎日のように動植物を観察して、
『いのち』の流れ/活動には、関心を寄せています。

そしていつだって明確に気づくことがあって、
それは「人類だけでは何もできない」
「個人だけでは、何も成り立っていない」という事実です。

例えばこの世で『いのち』とその摂理を学びながら、
『真に生命と向き合って生きる』のと、
「社会的な範囲で満足して、そのまま生き続ける」のとでは、
明確に大きな違いがあるように思えるんだ。

だからこれからの具体的な形の展開としては、
『ワタシは何者なのか?』を学ぶ機会や、
『本来の生活が自然にできる』ような条件/基盤等が、
義務教育と人間社会そのものの中に、
もっと多く導入される必要がある。

【実りの時期】 ≪著しい飛躍~進展の可能性について≫

本質的な学びと同時に、遊び/楽しむことは絶対的に可能だから、
その生活基盤となるものを『ボクら』がしっかりと根付かせておけば、
間違いなくボクらの子供(次の世代~次の世代)は、
今よりもずっと明るい『いのち』の流れと、
「集合意識の飛躍をもたらしてくれる存在」になる。

【どんな星がハッピー? どんな地球と人類であってほしい?】

『またこの星・地球と関わりたい』
『今の人類と社会が本当に好き』
『またこの地上に生まれたい』

そんな風にボクらがハートで正直に言えるようになった時、
『意識・魂による現実創造/現実体験』そのものは、
「感じている通りのベストなもの」となってくる。