夏も後半で涼しい季節になりはじめると、
キャンプ場などで延々と星空を眺め続けるなんてこともありますが、
ワタシ達はきっとそんな場面では、自分自身の豊かさ・美しさなどに、
ちゃんと本質的なレベルで気がつくことができています。
だからそうやってハートの感性が働いている時には、
星々をずっと眺めていても飽きなかったり、
夜空を見上げる度に、愛おしく感じられたりするんです。
2020年9月15日火曜日
銀河の流れ・星々の輝き。
2020年9月13日日曜日
『生活とは何か?』~本来の生活~
意識としてのボクらは、
今回「なぜこの星・地球と関わっているのだろうか?」
そしてアナタはなぜ、
「この時代を選び、その人物や国/環境を選んできたのか?」
そのことを深く真剣に意識してみると、
きっと存在としてのアナタは、ただ単に娯楽や快楽に没頭したり、
『楽に生きることを目的としているのではない』ということが、
ちゃんとハートレベルでわかるはずだ。
【この世界を可能にし、提供している背景の存在】
これは知っている方なら、知っていることだけど、
ある家族や医療関係者などは、人や動物の最期を看取る瞬間などに、
「ハッと『なにか』に気づく(思い出す)眼と表情をする」
『何者か』を目撃することがある。
もしくはそのようなこと自体は、
『神的な伝達の現れ』だと、そういえるのかもしれない。
つまり第六感で感じられるあの「異次元的な存在の感覚」は、
この世を可能にしている側の次元に属する『なにか』で、
今この瞬間の二元性世界と関わっている間は、
直接的にはほとんど接触することのできない、
『神的な領域』についてのことだといえるんだ。
【昼の月/夜の太陽】
ボクらがこの地上で「笑って遊ぶ」ことをしている時も、
酷な状態~環境で「もがき苦しむ」ことをしている時も、
宇宙の根本原理は完全に機能していて、
本当は想像以上の「計らい/配慮」を働かせながら、
『絶対的な恵みと恩寵』を与えてくれている。
ただ『信頼できる真実・真理が常にある』としても、
「地上の人は地上の人」であるが故に、
「神のしていることすべてには、気づけない」
【本当の自分らしく】 ~生きて・活きること~
自分はナチュラリストとかではないけれど、
毎日のように動植物を観察して、
『いのち』の流れ/活動には、関心を寄せています。
そしていつだって明確に気づくことがあって、
それは「人類だけでは何もできない」
「個人だけでは、何も成り立っていない」という事実です。
例えばこの世で『いのち』とその摂理を学びながら、
『真に生命と向き合って生きる』のと、
「社会的な範囲で満足して、そのまま生き続ける」のとでは、
明確に大きな違いがあるように思えるんだ。
だからこれからの具体的な形の展開としては、
『ワタシは何者なのか?』を学ぶ機会や、
『本来の生活が自然にできる』ような条件/基盤等が、
義務教育と人間社会そのものの中に、
もっと多く導入される必要がある。
【実りの時期】 ≪著しい飛躍~進展の可能性について≫
本質的な学びと同時に、遊び/楽しむことは絶対的に可能だから、
その生活基盤となるものを『ボクら』がしっかりと根付かせておけば、
間違いなくボクらの子供(次の世代~次の世代)は、
今よりもずっと明るい『いのち』の流れと、
「集合意識の飛躍をもたらしてくれる存在」になる。
【どんな星がハッピー? どんな地球と人類であってほしい?】
『またこの星・地球と関わりたい』
『今の人類と社会が本当に好き』
『またこの地上に生まれたい』
そんな風にボクらがハートで正直に言えるようになった時、
『意識・魂による現実創造/現実体験』そのものは、
「感じている通りのベストなもの」となってくる。
2020年9月11日金曜日
悟りのイメージ・概念を突破する。
「悟り」という言葉には、仏教のイメージなどが強く定着しているので、
はじめは誰もが僧侶的なものをすぐに想像してしまうのですが、
実際に世界的な規模で捉えても、禅宗・坐禅修行などは、
悟りを探求する者にとって、とてもポピュラーなものとなっています。
もちろん禅の世界観が大好きで、
それを生活に取り入れている方も多いのですが、
そういったことに関しては、特に大きな問題を感じたことはありません。
ただ自分も密教や曹洞宗には多少お世話になりましたが、
ある時期に深い「見性」の段階になっても、
「見性成仏」などにはなりませんでしたし、
「私は悟った、もうすべてを知った」なんて風にも、
全くならなかったのです。
それどころか道元さんが危惧していたような、
「哲学にハマって魔境に落ちる」といった、
そんな人達に気づくことのほうが多かったわけで、結局ある段階からは、
自分で仏教・宗教自体からは、離れていきました。
また以前にキリスト教の牧師さんとも関わったことがあるのですが、
その時にもやはり、宗教の世界観にのめり込んでいる人は多く、
いつの間にか宗教の教え(知識)と、
頭の中のイメージに恍惚としはじめるような方は、
少しも珍しくありませんでした。
なので今確実にいえることというのは、
さまざまな宗教の身なり・格好を含めて、
「悟りのイメージ・概念」などは、
ある段階で意識的に手放してしまったほうがいいということです。
なぜならそのほうがより自由に個性を活かすことができるし、
人物・キャラクターをありのままに楽しむことができます。
もちろんそうすることによって、
今までの「悟りのイメージ・概念」をもっている人達から、
逆に受け入れられないと思われたり、
長く誤解・誤認されることもあるでしょう。
けれど自分の場合は、『悟りの真意』に気づいたからこそ、
今度はあらゆるイメージ・概念を突破して、「悟り」に関する教えを
カジュアルなものにしたいとさえ考えているほどです。
(Youtube:ジョイ家)
2020年9月3日木曜日
誰かの為に ∞ 次の為に。
生命と呼べる存在を一本の木に例えるのなら、
それはワタシ達の絶対的な親であり、
ワタシ達は皆その木に基づきながら、
『いまここ』を創造・受容しています。
そしてこの地球では、
あらゆる生きものが生命自体の為に毎日活動しているのですが、
今の人類はそのような活動を十分に果たすことができているのでしょうか?
もしかすると今の人類の多くは、
大体いつも「私」「私達」に夢中となっていて、
日々「私的な事柄・活動」に没頭しているだけかもしれません。
そこでこんなことを洞察してもらいたいのですが、
例えば一枚の葉の葉脈というのは、巨大な木全体の中においては、
とても小さな流れであり、微々たる部分であるかのように思えます。
けれど実際の『いのち』というのは、
ある特定の範囲で機能しているわけではないし、本質的観点からすれば、
『いのち』自体は人の概念的思考で解釈するべきことではありません。
つまり何を伝えたいのかというと、あなたは『いま』存在本体としては、
それぞれの脈を絶対的に必要としていて、
一枚の葉や一本の枝を完全に機能させる為に、
『いのち』全体を自身としているということなのです。
またワタシ達の現状のこともお伝えしておきますが、
『いまここ』で本当の自分に少しも気がついていない者は、
ある意味で自分自身のするべきことを完全に見失っているので、
この地上ではそれを埋め合わせるかのようにして、
人間の「私」を「何者かにしよう」としています。
そこでワタシ達次第のことについて、
しっかりと自問しておいてもらいたいのですが、
あなたはこれからもマインドレベルの事柄を最も大事にしながら、
最後の最後まで一人の人間(私の人生)を続けていきますか?
それともこの人間社会と関わりつつも、本当の自分・自身として、
真に活きる・生きることを選択しはじめますか?
2020年9月1日火曜日
それぞれの色と個性、自他の年齢や容姿について。
ワタシ達は今回の生涯において、基本的に子供の時期を経た後、
~青年~中年~老年の時期を体験・経験するのですが、
その時その時の自他の年齢や容姿というのは、
詰まるところ意識・魂がしていることの一場面一場面ということになります。
そして覚えておいてもらいたいのですが、
この地上と関わっている者・存在の中には、
少年・少女をしていながら目覚ましく飛躍を遂げている者もいれば、
お爺さん・お婆さんをしていながら、
ほとんど飛躍を遂げていない者もいるのです。
人間というのは基本的に相手の年齢や容姿を捉えた瞬間、
その相手のことを見た目だけで判断してしまうものなのですが、
ワタシ達は真実・真理としては、
過去・現在・未来を貫通しているような意識・魂です。
なのである時の誰かの年齢や容姿だけを捉えて、
それが相手・存在のすべてであるかのようにしてしまうというのは、
賢明な選択・捉え方とはいえないでしょう。
逆にあなたが自他の年齢や容姿に気を取られるのではなく、
自他の本質を意識して、魂を重要視するのなら、その時は間違いなく、
相手・存在のことを本質的なレベルで受容できるようになります。
またそのような意識的な捉え方・認め方をしはじめると、
『形としての表現は皆違っていてよい』ということが、
意識的によくわかるようになって、
それぞれの色や個性なども、より多く楽しめるようになるでしょう。
------------------------------------------------------------------------------------------
~ Life is Free ~
ワタシ・アナタは、ワタシ・アナタの
味方でしかありえない。
▽
自由に選び、自由に学び、自由に遊べる。
~ Happy & Lucky ~
------------------------------------------------------------------------------------------
(Youtube)
2020年8月30日日曜日
生きる力・活きる意志。
小学生の時に雑貨屋で出会ったサボ1号が、
今でも元気いっぱいな花を咲かせます^^
出会った時はわずか10cmくらいのサボテンだったのですが、
今ではだいぶ大きくなっていて、以前に出した種(子供)も、
別々の鉢でたくましく育っているほどです。
また他にも柱サボを複数植えているのですが、
実は去年の台風(暴風)の影響で、一番大きな柱サボは、
ボッキリと真っ二つに折れてしまいました。
けれどその時は「大丈夫・何も心配いらない」といった感じで、
半分になった本体をそのままにし、
折れた一本もただ土に挿しておいたのです。
そして今年の春・夏ですが、もうすでに半分の本体からは、
新しい一本が根元から伸びてきていて、
挿しておいた一本も完全に根付き、
元気に生き生きと成長し続けています。
もちろんサボテンの鉢は年中屋外にあり、
水などもあえて自然の雨のみにしてあるのですが、
それによって完全に枯れたり腐ったりはしないし、
真冬に雪が降ってもへっちゃらです。
一応去年は暴風によって真っ二つに折れてしまったのですが、
それでもこうして振り返ってみると、
その折れた出来事というのは、
実際に少しも最悪などではありませんでした。
それどころか一度折れたことによって、
生命力そのものが増しただけでなく、
『いのち』の流れ自体が豊かになったわけですから、
折れた出来事は新たに成長するよい機会であり、
飛躍を遂げられる好機でもあったのです。
ワタシ達もこの地上で生活していると、
時々心身をへし折られるような出来事に遭遇するものなのですが、
そんな時はいつでも働きかけている生命の力を信頼し、
「本質的な気丈夫さ」を発揮し続けましょう。
そうすればどんなにズタボロになったとしても、
また着実に「生きる力・活きる意志」が蘇ってきます。
ワタシ達は生命として、『一=全・全=一』という存在なので、
1、『イマここ』でワタシは、真実・真理と共に在る。
2、『イマ真実・真理の存在そのものが、味方』である。
3、 ≡ すべては原初の神 ∞ 母体を通じての現れである ≡
5、『ワタシは自由でアリ』◎『愛と無限の可能性を有している』
2020年7月12日日曜日
『生涯ずっと約束されていること』
【アナタはいつでも神の子であり、毎日その愛によって支えられる】
この地上では「爽やかな晴れの日」もあれば、
「重く雨が吹きつける日」もあったりするけど、
結局そうした日々の体験というのは、
どんな時だってボクらの飛躍と進化を促している。
けれど「神」っていう存在自体は、
ボクらに対して「ああしろ、こうしろ」と命令しているわけではなく、
本当は一緒に物事の向上を目指していて、
一緒に『いのち』の流れを明るくしようとしているんだ。
だから一人で息張ったりして、「私は~をしなければならない」だとか、
そんなプレッシャーのようなものをしょっちゅう背負う必要はない。
また実際にそんな風になってしまっている時には、
意識的にちょっとだけ認識を切り替えてみると、
大きな変化・変容を引き起こせるかもしれない。
例えば自分自身の「喜怒哀楽」の移り変わりや、
一日一日の体験・経験そのものを
『神からのプレゼント』だと思って受け取るようにしてみよう。
つまり今日という日が快晴でも嵐でも、
それらの現実はとてもラッキーなプレゼントであり、
『いまここ』の宇宙・現実そのものは、
いつだって『無償で提供されている贈りもの』なんだ。
一応『いのち』のパートとしてのそれぞれは、
ちゃんと『もつべきもの(実る役割)をもっている』ので、
誰もが『するべきことをすることになっている(果たす)』のだけれど、
それは「進むべき道」と「生命の動向」が示されているってことだから、
とてもよいことだといえるんじゃないかな?
そして意識的にこの道をよく洞察してみれば、
きっと存在として「真の現実」に気がつけるはずだけど、
ボクらの本質は常に時空らしきものを貫通・超越しているから、
その観点では「これから誰が何を成し遂げるのか?」さえも、
本当は既知のことであり、
『神はすべてを知っている』ってことになるんだ。
------------------------------------------------------------------------------------------
(Youtube)
2020年7月1日水曜日
『ありがたみ』って、なんだっけ?
「当たり前の事」じゃない、
『ありがたい』に気づく。
---------------------------------------------------------------------------------------
(Youtube)
2020年6月23日火曜日
大ピンチは飛躍のチャンス。
形のレベルにしがみついていることがほとんど不可能となったり、
形のレベルそのものが激しく過酷な時というのは、
確かに生きものとしては大ピンチであり、
捉え方によっては大問題といえるかもしれません。
けれどそんな時というのは、
「私」という自己を超越することが可能となっているので、
意識的には飛躍を遂げるチャンスだともいえるのです。
またこれは珍しくないことなのですが、苦痛や苦悩が強烈な時期には、
「小さな私のもがき」とそのネガティブ性に圧倒されてしまうことがあり、
実際の酷なケースにおいては、ついに自害を考えたりする者もいます。
ただ実際に自身がそんな風になってしまったとしても、
そのような行為だけは絶対に選択してはなりません。
なぜならそれは本質的な可能性・チャンスを台無しにする行為であり、
生命として非常に「もったいない」ことだからです。
加えてこの地上と関わっているワタシ達は、
いつでも『いのち』全体の中で『いのち』のパートを担っていますから、
その役目・役割というのは、生命として全うするべきことだといえます。
つまりこの地上で生活している生きもの・存在というのは、
「活きる為に生き続けるべき」だといえるのですが、
もしもそのこと自体がイヤだと思ったりするのであれば、
実際にそんなことを思ったりしているのは、
一体誰なのかをよく確認してみましょう。
もちろんそういったことを思ったり感じたりしているのは、
間違いなく「思考からなる私」であり、本当の自分ではありません。
ですから「小さな私のもがき」が生じている場面などにおいては、
暗愚な「思考=私」には付き従わないようにし、
できる限り意識的に冷静なままで在るのが一番なのです。
② 『重たいネガティブ思考は、自然的にキャンセル』
③ 『すべてはうまくいっている、自然的に軽やかポジティブ』
「自己肯定する過程 ~」すらも、省略できる ◎
アナタとあなた自身は、
『いまここ』において存在している時点で、
何も間違ってなどいない。
2020年6月15日月曜日
現実は魂の鏡。
鏡にはさまざまな人の表情が映り込みますが、
そもそも『いまここ』の現実には、
魂のしていること(創造・選択)というのが、
その通りにそのまま反映されています。
そこで意識的に注目しておきたいのは、
自分が日々どんな現実を体験しているのかということなのですが、
まずはいつもの「体験の質」のことを振り返ってみましょう。
もしも自分の現実体験が、
定常的に明るくて軽さのあるものとなっているのなら、
意識・魂であるあなたは、
ほとんどの場面でネガティブな思考に囚われていないし、
重いエゴ的カルマも抱え込んでいないといえます。
けれど逆にいつもイライラしていたり、
不安や恐れの状態のまま重苦しい体験を繰り返しているのなら、
その意識はきっと何らかの問題あるカルマを抱えていて、
重い思考傾向にしょっちゅう囚われているはずです。
そしてどちらのケースにおいても、
このことは覚えておいてもらいたいのですが、
現実体験というのは集合意識の状態と深く関わっていますから、
集団的な無意識が蔓延っている今の地球レベルにおいては、
常に体験の質を観察し続けることが大事であり、
意識的な気づきをもち続けることが重要なのです。
------------------------------------------------------------------------------------------
(Youtube)
2020年6月1日月曜日
§ 明け渡し §
【愛と勇気】
_______________________
§ 神の導引 §
-------------------------------------------------------------------------------------------
~ Life is Free ~
ワタシ・アナタは、ワタシ・アナタの
味方でしかありえない。
▽
自由に選び、自由に学び、自由に遊べる。
~ Happy & Lucky ~
-------------------------------------------------------------------------------------------2020年5月30日土曜日
原初存在の選択。
もし『いまここ』でアナタの起源のことを話すのなら、
アナタは『いま』も起源のままとして在るということなのですが、
生命というのは結局のところ、ある意味で自分で自分を更新し続けていて、
今でも自分で自身を循環させ続けています。
例えばこれは面白い表現に聞こえたりもするのですが、
ワタシ達はこの地上で毎日食事をする時、それは自分で自身を飲んだり、
自分で自身を食べたりしているということなのです。
もちろん今の地球レベルだと、
多くの方はそういったことを日頃意識したりはしませんが、
それでも本質的観点では、いつでもそんな風に捉えることができるのです。
(Youtube)
(Youtube)